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イスラム教と過激派組織ISって同じなのか? [社会]

「宗教」はそれに関わっている人とそうでない人との思考の乖離はある。

それはどの宗教でも同じ事だろう。

日本では特に宗教に立脚していない生活をしている人が多いので、

より日本人にとっては「宗教」は理解し難い部分が多いことは否めない。

特にイスラム教は世界中でこれだけの規模の大きい宗教でありながら、

日本人には他の宗教(キリスト教、仏教、etc)よりも馴染みが薄い。


「イスラム教」を宗教的、学問的に論じるには当然、知識が無い、当たり前。

しかしながら、過激派組織ISなどに代表されるイスラム教を名乗っている、

暴力で現状を変えようとしている組織の動向は、

日々のニュースで取り上がられない日が無いほど・・・。
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そこで、日々の情報から「イスラム教」にこんなことを思ってますよ!!的な疑問、考えを書いてみる。

単純により強く考える事は「一元的にはムスリムの人たちの問題である」ということ。

ISなどの過激な集団とイスラム教がイコールとは一般の日本人は思っていない。

イスラム教の教義を深く知らなくても、暴力に訴えるような集団に正当性があるなどと

イスラム教などに偏見を持っている人以外は考えているはずも無い。

ただ、ムスリムの人たちが「あの集団と穏健なムスリムとは違う」と言ってしまうのは

あまりにも当事者意識が薄いのではないのでは?


少ない知識でもこのような過激な集団が育ってきた背景には西欧諸国の思惑や

場当たり的な政策とその失敗から生まれてきたようだという事は分かる。

しかし、もう一方の背景としてイスラム教内のスンニ派とシーア派の対立ということも取りざたされる。

この対立がなければ現状は違っているので、と考えるのだが・・・違うのか?

この対立は欧米諸国とは無関係なはずで、これを解決するのは、ムスリムの人たちにしかできない。

このイスラム教内宗教対立は今に始まった事ではなく、

その歴史は宗教の歴史に匹敵するものであることも理解はできる。

よって、その対立と過激なテロ集団の台頭は無関係という考え方もあるだろうが、

その対立を口実、足がかりにしている現状も否定は出来ない。

現在のようなテロ集団となってしまっては、打開策は無いかもしれないのだが、

ここはもっと積極的に全世界のムスリムが対立解消に関与すべきと考える。


このような宗教内対立も含め、それこそ「違いを認め、協調し合う事」が必要であることは明白だ。

この「違いを認め、協調し合う事」ということは現代ではとても重要な思考である。

「グローバルな世の中において」なんて大きな話にする気は毛頭ないが、

情報が氾濫して、小さな違いが認識できるような社会状況になって

違う事が当たり前、という世の中の思考になっていってもいいはずなのだが、

違いをより先鋭的にあぶり出し、排除するような動きになっている事は

どういう事なんだろう?と疑問符が幾つも付く。


「違いを認め、協調し合う事」 この中で協調するためにはお互いを理解する事は大前提だが、

理解するためには、主張ばかりでは理解してもらうことは難しいし時間もかかる。

この面でイスラム教は宗教的な主張ばかりで他者へ譲歩が少ない気がする。

「これは宗教的に定められた事です」が生活の中で多い印象だ。
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「宗教の重さ」を理解していない平和ボケした日本人の発想と言われるのかもしれないが、

異質な思考、異質な生活をしている人に対して「寛容になれ、寛容でいてくれ」と言われても

なかなか簡単には受け入れられない。特に極々普通の人にとってはそうではないのか。

これは日本人も欧米人もそんなに違いは無いはずである。

ここに経済的な側面が加味されると一段と複雑さを増す。これが欧州で起きていることに近い。

幸いと言えるのかどうか?日本では経済的に豊かになっているアジアのムスリムの「金」を

ビジネスチャンスと捉えている企業が増えてきているので、仕事的に寛容、適応を示している。

それが真にイスラム教を理解、容認しているのか?という問いに関しては、

個人的には、やや懐疑的な印象を抱いている。

特に日本人は建前と本音を使い分けて生活することに慣れているからである。

このように宗教的な契約や約束事を、もっと現在、生活している環境に適応させる事という発想を

議論する余地すら残されていないのだろうか?


このような疑問や意見は多くの人が感じているはずだ。

もし、これをムスリムの人やイスラム教に詳しい人が読んで頂いたのであれば、

ご意見、反論を寄せて頂けるとありがたい。


私が、いろいろな不理解や疑問、もっと言えばイスラム教に懐疑的である事は認める。

しかし、日本に暮らしているムスリムの子供たちが

いわれの無い差別やいじめにあっているニュースには100%怒りしかない。

ある意味では子供は残酷で正直でもある。それを制御、抑制するのは周囲の大人だ。

最も責任のあるのは親である事は言うまでもない。

ムスリムの人たちに限らず、「暮らしやすいという環境」ではないにしても、

平和で安全に暮らしていける「街」を築く責任は日本人にある。

その事は決して忘れてはいけないことを肝に銘しなければならない。
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